座敷
主屋から入母屋造りの角屋を張り出してつくられた接客空間。 角屋座敷棟を主屋に敷設する構成であり、上層農家の社会的な地位を示している。
座敷の床で、琵琶床を備える。 元治元年(1864年)東九条に野営した会津軍の幹部が1ヶ月投泊していた。 床柱にはその際についたと思われる武具の摺れた跡が残る。
座敷の違い棚上の押入れの引き手。 七福神の一柱とされている布袋さんのおなかを引き手部分にデザインしたユーモアあふれる引き手。
当時13歳だった第十代当主長谷川清之進(幼名:豊太郎)が描いたもので、東九条を隊列を組んで歩く会津藩家老・神保内蔵助が率いる軍勢198名を描いたものである。 当時の会津藩の軍装などがわかる貴重な資料である。この絵巻をデザインした手ぬぐいをおみやげとして販売している。
長谷川清之進(第10代当主)の誕生を祝して嘉永5年に整えられたものである。 神功皇后、武内宿祢、応仁天皇、これらの三つの人形の組み合わせは、江戸中・末期の市中の人々の「歴史観」を表している。三韓征伐を果たした神功皇后が、腹心の武内宿祢に赤子(後の応神天皇)を抱かせている姿を表している。
尾州檜を20年以上寝かせた檜を帯状に細長く削ったものを垂らす様式である。 神事に用いる御幣の形を援用したものと考えられているが、現在に残るものとしては非常に珍しいもの。